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道真(845〜903)は、代々学者の家系に生まれ、長じて学者、文人、それに政治家として卓越した能力を発揮した人物でした。幼少のころから文才に優れ18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳でついに方略式に合格し、(この試験は中国の古典に関する知識を問われるもので、史上65人にしか合格者の出ていない超難関でした。)33歳で式部少輔、文章(もんじょう)博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。
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また、政治家としても55歳で右大臣の位に上り詰めました。しかし、政敵であった左大臣、藤原時平により九州の大宰府に左遷され、その地で生涯を終えました。その後亡骸は門弟によって埋葬され、その墓所に創建されたのが大宰府天満宮です。
道真の死後、都では干ばつや疫病、飢饉などの天変地異が相次ぎ、そして極めつけは御所の清涼殿に落雷があり、人々はすべて道真の怨霊の祟りとして恐れました。
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このことにより、道真の怨霊は雷神と結びつけられることになりました。もともと京都の北野の地には、農作物に雨の恵みをもたらす火雷天神という地主神が祀られていたことから、それが道真の怨霊と合体したものといわれます。そこで怨霊の怒りを鎮めるため、この地に北野天満宮が創祀されました。その後、怨霊としての活動がだんだん静まり怖さが薄れると、人々の関心は、詩歌、学問に優れた道真の人物や業績といった面に向くようになりました。道真が空海や小野道風と並び“書道の三聖”といわれ崇められるようになったのもその頃からでしょう。こうしてできあがったのが、今日私たちが親しんでいる天神様のイメージなのです。
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